「 追悼・宇宙大元帥野田昌宏閣下 「スター・ウォーズ 新たなる希望」(DISCASより再録)」
観た!
「スター・ウォーズ」の、ことにこのエピソードIVのレビューを書くことはあるまいと思っていた、よほどのことがない限りは。
よほどのこと・・・・
2008年6月6日朝、野田宏一郎、通称野田昌宏氏が他界された。昭和8年生まれの74歳は、いささか早すぎる旅立ちではなかろうか。
氏が生前、確か本シリーズ(製作順の)第二作目「帝国の逆襲」公開のころだったと思うが、「俺はサ、スター・ウォーズで艦隊同士の宇宙戦が見られたら死んでもいいッて思ってるンだ」などとのたまわれていたことを思い出す。
然るにその数年後「ジェダイの復讐(当時)」でその夢叶い、口さがのない連中からなんと言われたかはご想像にお任せするとして、氏をしてそう言わしめたのは「帝国の逆襲」ではすべてのスペース・オペラファンの夢であった「アステロイドベルトでのドッグファイト」が実際に目の前に展開したからではなかったか。
「帝国の・・・」のシナリオを担当したのがリー・ブラケット女史であり、彼女自身も優れたSF書きであるが、アチキたちを感動にふるわせたのは亡夫がかの宇宙の破壊者と呼ばれたエドモンド・ハミルトンであったからに他ならない。
その彼女がなき夫の諸作品へのオマージュとして描いたのがかのシーンであり、製作途中にしてこの世を去ったブラケット女史の遺志を継いだスタッフがそれを具現化したのであった。
そンなこんなもあって、当時のSFファンにとって「帝国の・・・」は作品のよしあしだけではなく格段の思いを持って迎えた作品であり、ではそのつぎは??? という期待も膨らんだものであった。
時はさかのぼる。まだ「新たなる希望」という副題のないころ。
「スター・ウォーズ」といえばこのエピソードIVしかなかったその公開当時、従前からのSFファンは戸惑いの渦中にあった。
異端視されるべきSFがなぜか世の中に氾濫しているのである。それは数年前に波紋を呼んだ「SFの浸透と拡散」というSF大会のテーマそのもの、あるいはその出来の悪いカリカチュア。
だが幸か不幸か当時中学生であったアチキには、なにがあろうとすべてが思春期という戸惑いの渦中であり、問題はSFのムーブメントよりも読むべき本、観るべき映画が突然増えすぎてしまったこと、つまりは深刻な財政危機にあった。
そう、すでにどっぷりと野田昌宏に侵されていたアチキは、いっぱしのコレクターを気取って古書店をさまよい、昼飯をぬき電車賃をケチって足だけは丈夫に育ったのであった。
コレクターといえば聞こえはよいが今風に言えばヲタクである。
だが野田さんはコレクターであることを隠そうとはしなかった。しかも対象がSFでありそれもパルプマガジンと呼ばれる、いわばカストリ雑誌みたいな、いわば屑の山である。それでもその屑の中からほんの一握りのきらめきを探し出しては紹介し続けた。
その労力と熱意は当時のSF界の「まともな」人々も動かしたであろうことは想像に難くない。無論野田さん以外にもSFのエンターテインメント性を大切に思う人々は大勢いたのだけれど、やはり野田さんなくしてSFの、ことにジュブナイルSFの健全性は語れないと思うのだ。
そしてその土壌の中からたとえば「宇宙戦艦ヤマト」が生まれやがてガンダムが誕生する。
野田さんによるスペース・オペラの本邦紹介がなかったとしてもスター・ウォーズブームはこの国を覆っただろうし、雨後のたけのこのごとく出来の悪い模倣作も大量生産されただろう。
だがそのブーム後の展開に違いがあったのではなかろうか。
スペース・オペラとはよく言えば若々しい活力に満ちた、悪く言えば餓鬼向けのお話しである。すでに60年代から「きちんと」野田さんによってスペース・オペラの洗礼を受けたこの国は、78年になって宇宙大活劇映画「スター・ウォーズ」の嵐に見舞われてもオトナとして受け止めることが出来た。
だがいきなりこのブームに巻き込まれたとしたら。
そのブームの反動で起きる対立。単純明快だけをよしとするスペオペ派と、それに眉をひそめるだけの「良識」派・・・・ なんともお寒いSF冬の時代になってしまったのでは、などと妄想してしまう。
まぁ、なに書いてんだかわからなくなってきたので筆をおくが、少なくともこの作品についてひとついえることがある。
世界を変える力があった。その力を発揮できたのは偶然にも拠るところは大きいけれど、そのチカラの源はルーカス青年自身が大好きなものをみんなに見せてくれた、その一点にあると。
自分自身が大好きなものを紹介してくれた野田さんに、そして同じく映像化してくれた青年ルーカスにアチキは篤く感謝する。