以前から何回か取り上げている、毎日新聞の不定期連載
「医療クライシス」。今回は6月17日(火)から今日まで連載されたが、「医療費亡国論」にツッコミを入れており、読み応えがある。
タイトルは「脱『医療費亡国論』」。
(第1回)かさむ費用 ◇「高齢化」に根拠なし
(第2回)公的保険、限定論 ◇低所得者、置き去り
(第3回)効率追求なし ◇検査重複、薬は過剰
(第4回)経済波及効果 ◇公共事業を上回る
(第5回)社会ビジョン ◇日本は「無責任国家」
全容は各回の記事(上記のそれぞれがリンク)を見ていただきたい。光った文章をピックアップして、簡単にまとめてみる。
まず第1回目で、「医療費亡国論にとらわれるのはやめにすべきだ」と主張している。権丈善一氏や二木立氏の分析、海外の医療経済学の分析などを用いて「高齢化が進めば医療費が膨張するという考えは誤り」「終末期医療費は医療財政を圧迫していない」ことを説いている。
第1回のまとめは、医療費亡国論の発端となった論文を取り上げている。
「『このまま医療費が増えつづければ国家がつぶれるという発想さえ出ている。これは仮に「医療費亡国論」と称しておこう』。83年、当時の厚生省保険局長がとなえた『医療費亡国論』は長く、日本を低医療費政策に導いてきた。社会保障財源を巡る議論が進む今、本当に医療費が国を滅ぼすのかを追う。」と締められている。
続いて第2回。公的医療保険と民間保険を比較している。民間保険の増大によって医療費をまかなうべきという論に対する反論。前半では経済的弱者が公的保険に入れず、医療上の不利益を受けているという例をいくつか挙げて、後半では「民間保険に公的保険の補完的役割や代替を求めるのは間違い」と述べている。
記事では
「社会保障政策に詳しい松山幸弘・千葉商科大大学院客員教授は『民間保険の役割拡大というのは間違いだ』『病気を持っている人は一番の弱者だが、こうした人たちは民間保険に入れない。低所得の人も同様だ。たとえ入れても、完治するまで給付してくれるとは限らない。医療は生命にかかわる最も重要なセーフティーネット。困った弱者が救済されるような公的保険の仕組みこそ作るべきだ』と訴える。」とまとめられている。
第3回だけは毛色が違う。「医療には無駄遣いがたくさんある」ということを糾弾したい記者が書いているようだ。重複処方、不要と思われる検査、外国では費用対効果の点から処方が制限される薬が日本では制限なく処方できる、タミフル(インフルエンザ治療薬)は世界の7〜8割を日本で使用しているが、不必要な症例にも投与されているのではないか、などだ。
他の回では「誰がそう言っているか」「どこにそう書いてあるか」が明記されているが、第3回ではそれがない。また、取り上げられている例は「そういうことがあった」というもので、全体の何割がそのような例か、それによる損失がどれくらいと見込まれるかなどのデータは一つもなく、客観性が感じられない。
医療に無駄が残っていることは否定しないが、無駄遣いできないような仕組みによる締め付けの方がよほど厳しく、そちらには全く触れずに「まだまだ医療には削れる無駄がある」と書く「第3回」は、前後の計4回とのつながりが私にはわからなかった。良くある「最初は期待させておいてグダグダの世論操作に持ち込むパターンか?」と思った。
しかし第4回では「医療費亡国論」批判が再開。「横浜労災病院の地下では、医療に関連してたくさんの人が働いている」ことを引き合いに出し、医療に使うお金は無駄金ではなく、雇用や産業を生み出していることを書いている。また、医療によってまた働けるようになった人が生み出す価値にも言及している。
各省庁が発表する「産業連関表」を引いて
「生産増は所得増を呼び、消費につながって生産を増やすという形で経済波及効果は拡大していく。連鎖的な波及効果まで含めた『生産誘発係数』を求めたところ、医療は約4・3で、公共事業の約4・1を上回った。『4・3』とは医療に1兆円を投入すると、他分野で3・3兆円の生産を誘発することを示す数字だ。」と書いている。
手前味噌になるが、第4回の主張はこのブログでも
「強制デフレ政策の愚は止めようよ」というタイトルで同じようなことを書いている。記事は
「医療は財政にマイナスのように言われるが、決してそうではない。公共事業を上回る経済波及効果がある」とまとめられている。
そして今日の第5回。「日本は無責任国家」という、厳しいタイトルだ。社会保障に関する国の姿勢について、まずは3つに分類し、日本はそのどれにも属さない「無責任国家」であると説いている。その部分を引用。
社会保障財源をどう賄うのか。神野直彦・東京大教授(財政学)は、先進各国の状況を三つに分類する。
まず、米国に代表される「最低限保障責任国家」。神野教授は「最低限の生活は保障しようという政府。そのためには所得再分配が必要なので、豊かな人にかける税金のウエートが高くなる。つまり、累進的な所得税のウエートが大きい」と話す。ただし、中間層を中心に無保険者が約4700万人もいるという問題を生んでいる。
次に、ドイツやフランスのような「相互扶助的な国家」。お互いに負担しあい、病気になったときは助け合おうという考え方で、社会保険料などの社会保障負担率が大きいという特徴がある。
最後に、スウェーデンにみられる「標準を保障する国家」。貧しい人も含め、所得税も消費税も社会保障負担率も大きいが、「税を払っていれば生きていける社会」(神野教授)だという。
日本はどうか。神野教授は「無責任国家」と話す。「所得税がほとんど累進課税になっていないうえ、企業の負担も少ない。どういう社会を作ろうとしているのかがない。スウェーデン政府は『強い福祉を打ち出すために財政再建する』という。日本は福祉を切り捨て財政再建しようとするが、財政は人々の生活を守るためにあるのではないか」と批判する。
(引用ここまで)
どの国の制度が絶対的に素晴らしいとか、どの国の制度はダメだとか、そういう風に切り分けられるものではない。どの国でも社会保障の運営には苦労している。しかし日本は私が見る限りでは、どの国よりも医療政策のポリシーが歪んでいると思う。おそらくその根源は「医療費亡国論」にあるのだろう。
第5回のまとめは次のように書かれている。
「医療費亡国論」は「このままいけば、租税・社会保障負担が増大し、日本社会の活力が失われるのではないか」と指摘した。
日本は05年、租税負担率と社会保障負担率を合わせた国民負担率が38・3%で、経済成長率は2・6%だった。スウェーデンは同年、国民負担率が70・7%で、経済成長率は2・9%。国民負担率と経済成長率に明確な関係はみられない。
社会保障財源を巡る議論が本格化しているが、医療費亡国論に縛られる根拠は見当たらない。
(引用ここまで)
大きな新聞が、医療費亡国論に真正面から異を唱えたのは、少なくとも私の記憶にはない。疑問を呈していた記事は覚えているが、今回は「医療費亡国論に縛られるのは根拠がない」と書いており、姿勢はより明確だ。
国民も医療者も政治家も(もちろん経済界の偉い人も)、「それでも医療費は少ない方がいい」と何となく思い続けているような気がする。しかしここで書かれていることは、「医療費を使うことは、お金を捨てることではなく、逆に経済を回していく原動力になる」という、よく考えれば当たり前のことを書いている。
20年以上にわたって真綿で首を締めるように医療を、国民の生活を、安心を苦しい状況に追い込んできた原因の一つである「医療費亡国論」の呪縛から、今こそ解き放たれるべき時だと思う。