医療関係者や司法・警察・検察関係者以外にはなじみが薄いと思うが、2006年2月18日は医療にとっての大事件が起きた日だった。福島県立大野病院の産婦人科医師が「不当逮捕」されたのだ。
どういう理由で逮捕されたかというと、大野病院の医師が執刀した帝王切開手術において、児を取り上げた後で胎盤を取り去る際に癒着している部分があって、「出血多量により死亡させた」容疑だということである。
ご遺族のお気持ちを考えれば、この逮捕は当然と思えるかもしれない。そこで時間が止まってしまって一歩も前に進まなくなるような、絶望的なできごとだろう。しかしだからといって「逮捕・勾留・起訴」が正当だとは、私にはどうしても思えない。
医師とご遺族のどちらが正しいとか間違っているとかいう問題ではない。警察や検察の行動として、明らかにおかしいと思う点が、いくつもある。
「逮捕勾留」というのは、逃亡の恐れがあるとか、証拠隠滅の恐れがあるなどの、被疑者の身柄を拘束しなければならない相応の理由がある場合に行われる。しかし、2年前の今日逮捕された医師は、県による事故調査が終わって、行政処分を受けた後、通常の診療をおこなっていたところ、逮捕勾留された。
逮捕されたことは、マスコミによって大々的に報道された。逮捕当日に「医療ミスで死なせた」と報道された。医療ミスだということは、誰が決めたのだろう。たしかに県の調査の段階では、ミスがあったと受け取られる可能性のある表現が報告書になった。それは、ご遺族の感情に配慮すれば、無理もない決断だったのかもしれない。
しかし県による事故調査報告を見て、警察が動き出した。逮捕されたのは死亡事故後1年以上経ってからのことである。日常の診療を忙しくしている合間に、何回か警察に呼び出されて話を聞かれ、2月18日に呼び出された時には、そのまま逮捕勾留されてしまったらしい。
証拠となるカルテなどはすでに警察に押収されていたようだし、家庭を持ち、責任ある立場で日常診療をおこなっていた医師である。証拠隠滅や逃亡の恐れがあるから逮捕勾留が適当とは、どうも納得できない。身柄を拘束して、マスコミにも大々的に報道させるというのは、
警察権力を世に示すパフォーマンス以外に、どういう意図があったのだろう。
逮捕後身柄の拘束は続けられ、20日後の3月10日、医師は起訴された。刑事事件の被告になったわけである。罪状は「業務上過失致死」と「医師法違反(異状死体の届出義務違反)」である。この両方を掛けることで、結果が悪かった医療行為に関連した医師は、たとえ過失がなくても逃げ場を失う。
「この死は過失によるものではない」と判断して異常死の届け出を行わなかった場合には医師法違反、届け出た場合には「重大な結果が生じているから重過失」という、科学的・医学的ではない判決で犯罪者にされる可能性がある。現在の日本の司法は、医療裁判においては普遍的かつ十分な判断能力を持っているとは思えない。
医療においては、重大な結果は重大な過失の結果で起こるとは限らない。人間の生命は、必ずいつかは終わるものである。その多くは十分に歳を取ってから起こるが、若い段階で起こる可能性もゼロではない。そのままにしておいたら命が終わるような変化が患者さんに起きた場合、医療は死亡を回避するために最大限の努力を行う。
今回の事故が起きた医療現場で、医療者側から見れば当該医師は、救命のための努力を可能な範囲で最大限おこなっていたように思える。しかしそれらは、ご遺族の方たちにとっては、言い訳にしか聞こえないだろうということも、十分理解できる。ここでこの両者の間のずれを解決するのに、逮捕や裁判は役立つのだろうか。
ご遺族のことばで「ミスがないならなぜ死んだんだ」というものがあった。このことばが、問題点を端的に表しているように思う。ミスがなくても人が亡くなることはある。「ミスがなければ死ぬはずがない」というのは、可能性の大小は言えても、絶対になかったと言える場合は皆無である。
産科の事例で私には専門外であることから、死亡に至った事実関係について言及することは避ける。しかし癒着胎盤という非常に稀で予測不能な病態であったこと、一人産科医という過酷な労働条件であったこと、経験は十分で技術的にも信頼できる医師であったらしいこと等から考えて、当該医師でない別の産科医がその場に当該医師の代わりに居たら救命できた事例かと考えると、それでも命は失われていただろうと思う。
このような場合に、その場にいた責任者だからといってその医師を断罪するのは、誰にどのようなメリットがあるのだろう。有罪判決が出たとしても、ご遺族にとって「有罪になって、胸のすく思い」とはならないだろう。「有罪にはなったが、殺された人は帰ってこない」と、感情の整理にもつながらない可能性もある。今まで、別の裁判のご遺族からは「なぜ死刑にならないのだ」というような100%感情から出た意見も聞かれる。
同じような境遇で働いている医師には「明日は我が身だ」と、医療現場から立ち去らせる強烈な風となるだろう。今そのような危険を感じていない医師も多いかもしれないが、医療現場の最前線で働いている医師には、いつでも同じ境遇が襲ってくる危険がある。特に外科系の医師は、医療行為そのものが傷害行為とも見なせる両刃の剣であるだけに、いつでも犯罪者に仕立て上げられる危険があると思っていた方がいい。
医療と司法がこのような対立構造にあることは、国民にとっても医療にとっても、決してプラスには働かない。そのような問題意識から医療事故調の議論が始まったはずなのだが、現在の事故調試案(厚労省と自民党)は、根本的な問題点を抱えたまま、ごり押しで決めてしまおうとする人がいて、非常に危険に感じている。
大野病院事件では、県の事故調査が十分に行われて決着したはずの事故報告書から、警察が動き出して逮捕につながった。厚労省の案も自民党の案も、遺族代表の方の主張も、「医療事故調の報告書は裁判の証拠として使える」ことになっている。この構造をそのままにして、医療事故が起きたときに事故調さえあれば正しい事故調査が速やかにスムーズに進むと考える方がおかしいだろう。やはり事故調に関しては、今の浅い案のまま拙速に進めるべきではない。
もう一度いうが、大野病院で2004年の12月に帝王切開された妊婦さんが亡くなったその場所に、他の医師が代わりにいたら助かった可能性が高いとはどうしても思えないので、亡くなったことは当該医師の犯罪ではないと考える。
私は、福島県立大野病院事件での医師の逮捕は「不当逮捕」であると信じ、検察や警察・ご遺族側が、医療との間でお互いの理解を進めて歩み寄ろうという姿勢を見せない限り、逮捕された医師を応援します。