2008/2/13
「いち抜けた」の一本指をつかまえてささやく all you need is love/伊勢谷小枝子
この短歌を口ずさむといつも少し泣きそうになる。僕がこれまで読んだことのあるあらゆる短歌のなかで、この短歌がマイ・ベスト、最も好きな短歌だ。一本指をつきあげて「いち抜けた」と宣言する人のその一本指をつかまえてかけるべき言葉は、ふつう「にい抜けた」だろう。あるいは「「いち抜けた」なんて言わないで」という引き止め、か。いずれにせよ、けっして「all you need is love」ではない。ビートルズからの(わりと雑な)引用で、その愛もわたしがあげるわけでもなさそうなのに、いいかげんでちょっとなげやりなこのささやきは、なぜかとてもやさしい。
恋人はいてもいなくてもいいけれどあなたはここにいたほうがいい
ふられてたのにまたふられなおされた いるだけでいいからそこにいて
作者にとって、わたしの存在はあなたの存在を認めるためにあるようだ。それは「「いち抜けた」の一本指をつかまえ」ながらのいいかげんなささやきのようになされているけれど、小さくか細いその声はやさしくクリアにひびく。57577の定型は、最後の77の繰り返しが自己肯定性に結びつきやすいというのは昔から言われているのだけど(くわしくは穂村弘『短歌という爆弾』(小学館)などを参照)、こういうふうに他者の肯定のためにその仕組みを使えることに、(他者のために使おうという人はいるような気もするけれど、たいていそういう人の短歌はつまらないので、それなのにおもしろいということに)、僕は感動するのだ。
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伊勢谷小枝子第一短歌集『平熱ボタン』(あざみ書房)は、上記3首(*これらは短歌集未収録作品です)のような短歌から離れ、「わたし」のことを書いている短歌が多いのだけれど、いわゆる「わたし」の短歌になってないヘンな感じが特徴だと思った。そのヘンさは、藤色の表紙に銀の箔押し風の題字という渋い、まるで歌集のような装丁を選択しながらリング綴じだったり、「序文」入りというこちらも歌集の体裁をとりながら、それが枡野浩一による規格外に素敵なものだったり、柴田有理による奇矯でチャーミングな挿画があしらわれていたり、という外枠のヘンさに対応する……かどうかはよくわからない。そんなヘンな歌というのはこんな感じ。
じだんだを踏んでいるのにみんなからダンスがうまいと思われている
ねこをかむねずみのつもりだったけど追いつめられることがなかった
ヒョウ柄のつもりが 「これはキリンよ」と指摘を受けて菜食主義に?
これらの短歌は、冒頭ひいた他者に向けられたクリアな歌群に較べると、採用されている構文は似ているのに、なんだかぐんにゃりとした印象だ。それは他者からの目線から「わたし」を規定していることに依る。僕が言うヘンさとは、イメージが奇抜だとかそういうことではなく、こういうことだ。自分による自己像がAでも、他人にBと言われればかんたんにBになってしまうといった。
この場所がいつか陸地になったとき化石の私が掘り出されたい
こういう歌にも表れているけれど、伊勢谷の歌のなかの「わたし」はめちゃくちゃ受け身なのだ。それなのに、いわゆる短歌で自在に展開される「わたし」よりも自由な感じがするのはなぜだろう。それは、作者が、思い通りにならない世界に生まれ、その世界を自分なりの方法で愛するということに自覚的だからではないだろうか。冒頭に引用したような他者へのまなざしをそのまま表した短歌と他者からの視線によって「わたし」を描き出そうとする本短歌集に収められた短歌はそれぞれがそれぞれの鏡像のように存在していると僕は思った。
鋼鉄のメダルをもらい堂々と猫背で生きる権利をもらう
本短歌集のなかで僕が一番好きな歌。鋼鉄のメダルを首にかけ、「猫背で生きていけばいいよ」(タメ口)と言ってあげたのが、僕でないのが残念なくらい好き。
( anotherpain ) vs ( Chocorua )
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