昨日,黎明館で開かれている企画展
「絵地図に刻まれた鹿児島の歴史」を見てきた(5月6日まで)。
館蔵資料を中心に,近世から近現代にかけての鹿児島の絵地図を展示している。これまで書籍などでしか見たことのなかった城下町絵図の実物を見ることができるのがうれしい。
個人的関心事に引き寄せると,やはり絵図の中に窯に関する記載がないか,というのが気にかかるところ。安政6年(1859)頃の城下絵図には,興国寺(現興国墓地)脇に「星山仲次御借地」とあり,竪野冷水窯跡が所在していた地点とほぼ一致する。
一方,19世紀中頃に操業していたと考えられる竪野稲荷窯(現稲荷町)付近には,窯の存在を示唆するような記載は見られない。またそのような記載のある絵図に出遭ったことがない。なぜだろう? 単なる調査不足か?
13:30より講堂にて,横山伊徳氏(東大史料編纂所)の講演
「薩摩に来た異国船−捕鯨船・測量船・蒸気軍艦−」を拝聴する。
幕末の対外政策を,「異国船打ち払いの時代(1791-1842)」「薪水給与の時代(1842-53)」「開国・開港の時代(1853-)」に分け,とくに「異国船打ち払いの時代」を中心に,当時の世界的な政治経済動向と関連させながら読み解いていく。
「打ち払いの時代」が,毛皮貿易や捕鯨活動など北太平洋を中心とした状況に対する対応であったのに対し,「薪水給与の時代」は,アヘン戦争後の中国(清)開港により,東シナ海(その中心としての琉球)が主な舞台になった時代への対応という比較が興味深い。
すごく当たり前の話だが,「対外交渉史」においては,彼我の資料を重ね合わせながら考えていかねばならないということを,改めて感じる。