イザベラ・バード(高梨健吉訳)2000『日本奥地紀行』平凡社ライブラリー(原本1885年,東洋文庫版1973年)
pp.242-243 7月21日 神宮寺にて(秋田県大仙市神宮寺)
「そこ(六郷−引用者注)では,警察の親切な取り計らいのおかげで,相当な金持ちの商人の仏式の葬式に参列することができた。(中略)六郷の近くの大曲という町で大きな素焼きの甕が製造され,金持ちは,死体を収容するときこれを用いることが多い。しかしこの場合には,二つの四角の箱があった。外側のものは,松材を丁寧に削ったものである」
※六郷・大曲ともに大仙市内の地名。
秋田県の近世考古学については,お恥ずかしながら,まったくの無知である。大曲における陶器生産や甕棺の社会階層差を示唆する調査研究成果はあるのだろうか?
なお
江戸遺跡研究会編2001『図説江戸考古学研究事典』によれば,江戸における甕棺墓の甕は大多数が常滑焼であり,その被葬者は「旗本・藩士」とされている(pp.142-144)。
p.288 7月29日 大館にて(秋田県大館市)
(大館の手前「小繋(現能代市)」にて)
「この日の旅行で唯一の収穫は,一本のすばらしい百合の花であった。それを宿の主人にあげたら,朝になると神棚の貴重な古薩摩焼の小さな花瓶の中で咲いていた」
※「古薩摩焼の小さな花瓶」とは,いったいどのようなものだろうか。短いながら,というより,短いがゆえに,いろいろと想像をふくらませてくれる興味深い一文である。以下,その想像を書き記しておく。
この「古薩摩焼の小さな花瓶」の可能性の一つとして,近世後期に藩外にも流通していた,土瓶を代表とする薩摩焼がある。東北地方にも流通していた可能性を私は考えている(渡辺2006)。
もう一つの可能性については,「薩摩」に「サツマ」というカタカナルビが振られている点に注目する。訳者凡例によれば,カタカナルビは原著における日本地名表記を訳したものだという。原文を確認していないが,ここは「satsuma」と表記されているのではないだろうか。
バードを含め,当時のヨーロッパ人にとっての「SATSUMA」とは,金襴手様式の輸出陶磁器を指す言葉であり,それには京都産,横浜産なども含まれ,薩摩産だけに限定されない。バードが「サツマ」という語を用いたのは,そのような輸出用陶器との類似性からではないだろうか。
その場合,黒・褐釉系陶器よりも,白薩摩など,白い陶器を指している可能性がある。感覚的であるが,神棚に置かれている点,黒よりも白の方がマッチするように思われる。また「貴重な」という形容も,日用陶器にはなじまない表現ではないだろうか。
つまり,必ずしも薩摩産陶器とは限らない「白い陶器」を,彼女は「satsuma」と呼んだのかも知れない。
渡辺芳郎2006「近世薩摩焼の藩外流通に関するノート」『金大考古』53号