隻眼隻腕の剣豪・丹下左膳を創造したことで有名な作家・林不忘(1900-35)に「怪談抜地獄」という捕物帳がある。
林不忘1925「怪談抜地獄」『探偵文藝』1925年5月号
(ミステリー文学資料館編2001『「探偵文藝』傑作選』光文社文庫 pp.110-137に再録)
その中に
「宿場端れの泡盛屋で呑めない地酒に時間を消し」という一文が出てくる(上記再録版p.134)。この「泡盛屋」とは,地酒という語が出てくることから,今でいう一杯飲み屋を指すものと想像されるが,そこに沖縄の酒・泡盛の名が冠されていることに興味が引かれる。
江戸時代の終わりに,泡盛が流通していたことは,『守貞謾稿』や『江戸買物独案内』(文政7年(1824))などの記述からうかがいしれるが,はたして「泡盛屋」なる名称があったかどうかは寡聞にして知らない。
近世の泡盛生産は琉球王府の管理下に置かれていたというし,またその流通においても薩摩藩がかなりの規制を働かせていた。むしろ明治以後,泡盛の民間生産が許され,本格的な商品としての流通が始まったと考えられる。
それゆえ,上記の一文は,江戸時代の風俗を描いたというより,発表年代である大正時代頃の様子を,時代小説に置き換えたと見る方がいいのかもしれない。大正頃に飲み屋の名称として「泡盛屋」があったかどうかも未確認であるが,大衆小説に出てくる語句が,当時の広範な読者にとっての「共通了解事項」であった可能性は高い。それはそれで興味深い。
ちなみに林不忘は,若くして亡くなっているが,このほかに「牧逸馬」「谷謙次」などの別名で,ミステリ作品や怪奇実話を多数発表しており,戦前のミステリ小説が好きな者にとっては,なじみの深い作家である。