今は「海猿」の原案者、「トッキュー」や「わが名は海師」の原作者として有名になった小森陽一氏や彼の同期の先輩達と、当時梅田にあったミニシアターで自分達の作品を上映しようという話が出た。
「Filmnextage」という団体を立ち上げ、映画館の正規上映作品の前にCFなどと一緒に上映されるという形で、10分の短編作品を制作した。
しかし、条件が厳しかった。35o作品であることが大前提であった。1本目は16o→35oのブローアップで製作したが、それでも100万円強の資金が必要で、2本目は高感度フィルムで撮影したいとのことで、35oで撮影をした。カメラやフィルムは格安で揃えても、やはりそこは35o、150万円ほどかかってしまった。
結局、この企画はこの2本で終わり、団体も一端解散となった。その後、ショートフィルムが脚光を浴びたり、同様の企画が実際に展開されていることを見ると、時代を先取しすぎたのかもしれない。実際、作品製作のための協賛を取るための企業営業では、欧米のショートフィルムの資料などを提示していたが、当時はまだピンとくる人が殆どいなかったそうだ。
その後、「Filmnextage」の残留メンバーに何人か私の後輩になるメンバーが加わって、同じ劇場で今度はレイトショー枠を使った自主上映を行なった。短編を全部で6作ほど集めておこなったが、キャパ80ほどの劇場は満員となった…と言えば聞こえはいいが、実は1回、上映トラブルで途中中止という大失態をしてしまったのだ。まあ、ともあれリベンジで何とか成功したものの、メンバーがそれなりに年を重ね、それぞれの道にすすむこともあり、1回限りで終わってしまった。
そんなことをしつつ、いつの間にか就職もせずに大学を出た私は、アルバイトをしながら、卒業制作に納得できなかったという友人と16oの短編作品を作ることになった。