福岡で痛ましい事件が起きた。
私も現場の状況や児童の障がいのことなどが耳に入るにつれ、「もしや…」が「やっぱり…」に変わってしまった者の一人である。
しかし、今回の事件、障がい福祉に関わるものとしては複雑な心境である。
児童は、報道で聞く情報によれば、ADHDではなかったのではないかと推測される。母親は足が悪く…。おそらくは落ち着きのない我が子に相当困り果てていたのだと思われる。
しかも、児童は特別支援“学級”に通っていたという。特別支援学級は全児童からみれば少数派であり、当然保護者も孤立しがちである。相談できる相手もおらず、しかも転居してきたとのことであるから、相当な孤独感を感じていたのではないだろうか?
たしかに、実の息子を殺害するという行為は許されないし、償うべきである。しかし、この親子の状況をサポートし切れなかった学校や地域、その他関係者にも課題(問題ではない)があると思う。
国は、障がい児、特に発達障害に関しては、重点課題として取り組んでいるところである。しかし、単に相談機関や受け止めの場を作るだけでなく、地域福祉を見直し、みんなが気付きあい、助けあえるようなコミュニティーを形成していくことが、結果として本当の支援、生きやすさにつながるのではないだろうか?
今回の事件を教訓に、国には福祉そのものの在り方、福祉とは何かを見つめなおして欲しいと感じる。