「アレクセイ・ラトマンスキー『私の振付は頭の中で生まれます。』」
2008年8月

ソビエト時代には、彼は「形式主義者」あるいは、「コスモポリタン」という刻印を押されました。今は「新型フォーメーションを提示する進歩的振付家」と呼ばれています。
アレクセイ・ラトマンスキーは、モーリス・ベジャール、イジー・キリアーン(イリ・キリアン)、マッツ・エックと一緒に仕事をしたことがあり、デンマーク王立バレエ団では終身ソリスト、女王マルグレーテ2世から騎士の位に叙せられています。振付けたバレエの作品数は20を超えています。
《ブノワ・ドゥ・ラ・ダンス》と《黄金のマスク》賞の受賞者である彼は、あらゆる感情論を排斥し、「舞台は神聖なものではなく、良い劇場は、ボックス・オフィス(チケット売上)に頼る権利は無い」と主張しています。ルーチン(型どおりの事柄)が何よりも嫌いということも、付け加えることが出来ます。ただし、ルーチンの概念すら、彼には通じないようです。
今日、アレクセイ・ラトマンスキーは40歳になりました。
「私の振付は、最初頭の中で生まれます」とアレクセイ・ラトマンスキーは言います。
アレクセイ・ラトマンスキー/振付家
日中、私は何を見せるべきかを考えます。リハーサル用の記録を依頼するのは、もう少し後で、夕方の5時ごろです。その時間には、私が提示する振付のイメージが固まっています。1986年に卒業しました。ちょうどその頃、ビデオカセットなるものが出現しました。これには本当に魅了されました。その関係で私はカナダに行き、あらゆる映像を観ては、踊りつくしました。私の認識はすっかり覆りました。
ウィニペグ王立バレエ団で幾つかのバレエ作品を振付けた後、彼はキエフに戻りました。1997年からは、デンマーク王立バレエ団の終身リーディング・ソリストとなったばかりでなく、海外で彼にとって始めての大作を発表しました。バレエ《トゥーランドットの夢》です。 2001年に、このバレエは一度だけ、モスクワで上演されました。
アレクセイ・ラトマンスキー
あまり沢山遍歴したので、何処が実際の故郷なのかという感覚を失うほどでした。よそ者意識も有りました。カナダでも外国人でしたし、デンマークでも外国人でしたし、こちらに戻って来た時も、少し外国人ような気分がしました。
身内の中の他人。 ロシアでは、必ずしも全ての人々が、クラシックバレエとは少々異なる彼の振付を受け入れたわけではありませんでした。マリインカも、彼の《くるみ割り人形》の上演を許可せず、その代わりに、《シンデレラ》には、『OK』を出しました。彼の《シンデレラ》は、スカートをはいた王女様が登場する定番のお伽話ではなく、永遠と全能の時間についての深い思いを表現する作品となりました。
ニーナ・アナニアシヴィリのためにラトマンスキーが振付けた一幕バレエ作品《マニエリズム》 と《夢の中の日本》により、彼は祖国で最も引っ張りだこの振付家に変身しました。 ボリショイ劇場との密な協力関係は、ラトマンスキーが創作活動をする上で、新たな力強い刺激となりました。ショスタコーヴィチの音楽を用いてバレエを振付けるという、彼の夢がついに実現したのです。. 《明るい小川》は、即座に幾つかの《黄金のマスク賞》を受賞しました。
そして、その初演の後、アレクセイ・ラトマンスキーは、ボリショイ劇場の芸術監督に指名されました。劇場はそれまで数年来、創作における惰性とルーチンに批判的でした。
進歩的な振付家は劇場に新風を吹き込みました。《明るい小川》の後、彼は《ボルト》を振付けました。新しい振付と、芸術監督との新しい対人関係はバレエ団員の気に入りました。
アレクセイ・ラトマンスキー
私は独裁者には成れません。バレエ団の人々には尊厳があり、彼らが自分の考えを持つこと −これが私は大事だと思います。
彼はボリショイで若手振付家を対象としたワークショップを設立しました。これは、有能なスペシャリストを発掘するための実験の場です。西側では積極的に行われています。《転がり落ちる老女たち(Вываливающиеся старухи)》 ― ラトマンスキーは、このアヴァンギャルドでパロディー的且つ哲学的なバレエを、フェスティバル《テリトリー》のために振付けました。
彼にインスピレーションを与えたのは、デシャートニコフ(ジェシャートニコフ)の音楽だけではなく、ハルムスとオレイニコフの詩の小節でした。
昨シーズン中にラトマンスキーはボリショイでバレエ《パリの炎》の上演を終えました。これは、ソビエト時代のバレエ発展における画期的な作品で、スターリンが好んだという演目です。ラトマンスキーにとっては、ソビエト・バレエの偉大な伝統を思い出し、再生させることが大変重要でした。
アレクセイ・ラトマンスキー
私たちはいたずらにソビエト時代の遺産に関心を向けているのではありません。それらの振付を覚えている世代が去っていくからです。今この瞬間を捉え、できるだけ多くを記録として定着させなければなりません。
バレエ作品から2〜3のフレーズだけがバレエ史に保存されていることが往々にしてあるので、その他の部分は、創作し直す必要が出てきます。
「現代バレエと伝統的なバレエの両方が、今日のアーチストたちの身体の中に存在するべき。」とラトマンスキーは考えています。その時になって初めて、踊りは発展するのだと。

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