社会人になってから、20年以上飲酒を
欠かさなかった男が、きっぱりとお酒を断って
過ごす、アルコールの無い日々の軌跡です。
☆ノンアルコールDAYS☆

2008/9/2
「刻まれたもの」
出張の中で月をまたぐというのは、どうもメリハリがなくて
あまり好ましいことではない。
日を追うごとに疲れがたまり、寝不足も重なって、
一段落すると一気にそのツケが回ってくるのは今に始まった
ことではないが、やはりきついものがある。
日程を終えて、帰途に着くと、自分に対してお疲れさんと
ねぎらう意味で一杯飲めたらと思うことも正直ある。
同時に、やはり刻まれてしまったものを消すことは
もうできないのだということも、改めて感じるのである。
例えは悪いのだが、苦労して自転車に乗れるようになった
人が、仮に何年も自転車に乗らなかったとしても、乗れなく
なるということはまずない。
泳げる人が、同じように何年も泳がないでいたとしても、
泳げなくなることはない。
長年にわたる飲酒で刻まれた依存と逃避の回路は、何年断酒
しようと消えることはなく、従って完治というゴールはない。
ゴールなき道を歩き続けるというのは、苦痛以外の何物でも
ないような気さえするが、最近では、人が一生を終える
時でさえ、それはゴールではないかも知れないと考えている。
輪廻転生などという大げさなものではないにしろ、
なにかしらゴールというよりも、新たなスタートを切る前の
準備というか、必然的なものとして捉えている。
一日を精一杯生きて、疲れ果てた後、また新たな一日を
生きるために眠りにつく。それと同じことだと感じている。
あまり先のことを考えてもきりがない。今日一日を飲まずに
生きる、それが一日断酒であり、それを積み重ねていくと
自覚していたが、一日断酒は、一生断酒ということが
おぼろげに見えてきたようである。
断酒を継続していく。これ自体は本当にひとつの機縁
というか、きっかけのようなものではあるが、ゴールのない
道を歩むということ、進むということの意味が見え出した
気がする。
始まりも終わりもない永遠の時の中で、今を生きる我々は、
ゴールなき道を歩き続けることに、永遠の喜びと楽しみを
感じ続けることができれば、それがそのまま、その人の
ゆるぎない幸せといえるかも知れない。
苦悩と悲哀があって初めてそれが見えてくるものとすれば、
苦も楽もともに幸せに感じられるであろう。
とすれば、苦にとらわれ、楽にとらわれている私は、まだまだ
その境地に達するには未熟すぎてお話にならないようである。

投稿者: jetlinks
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