社会人になってから、20年以上飲酒を
欠かさなかった男が、きっぱりとお酒を断って
過ごす、アルコールの無い日々の軌跡です。
☆ノンアルコールDAYS☆

2008/7/31
カーッと暑い日、仕事のあと、風呂上りに、冷えたビールを
ジョッキでググッといくときのあの爽快感、疲れも吹っ飛ぶ
ような快感を忘れたわけではない。
この頃は、確かに薬で、活力源で、今でいえば点滴のような
ものである。
じっとしていても汗が滲むような暑い夜、銭湯へ行った。
熱い湯につかり、冷水を浴びてまた湯につかる。
何度も繰り返してすっきりした後、湯上りに冷えた
ラムネを飲む。
渇いた喉にゴクゴクと流し込むと、あの感覚がよみがえる。
クーッ! うまいんだなこれが&%#$*@!!と
思わず声が出る。
同時に、子供の頃の懐かしい夏の感覚もよみがえる。
ラムネで十分幸せである。
いつしか憂さ晴らしのお酒に変わっていった。
やり場のない憤懣を溶かすように飲んだ。実際は少しも
溶けることはなく、自分の感覚が鈍くなるだけだった。
道を進むのが苦しくなるほどの足の痛みを、お酒という
鎮痛剤で紛らわせて歩いていたのだろう。
いくら痛み止めを打ったところで、足が治る訳ではない。
一本では効かなくなり、二本、三本と増え続け、気がつけば
痛み止めなしでは一歩も歩けない状態であった。
そして、やがて足は動かなくなり、歩みを止めてしまう
ことになる。
今は苦しいながら、痛みを感じながらも、一歩一歩
足を進めている。
痛み止めはもう打つ気はない。
楽なのは一瞬で、自分の足がどうなっているのかもわからず、
大地を踏みしめる感覚も無くなり、やがて足を害して進めなく
なることを知っているから。
痛いながらも、その痛みをしっかりと感じて、痛みと
相談しながら歩み続けていく。
時には軽快に、時には重く、時には引きずるようにして、
それでも、その一歩一歩は、確かに私の意識のもとでの
歩みなのである。
後ろから押されるのでもなく、前から引っ張られるのでもなく、
自らが刻んでいく確かな軌跡なのである。

2008/7/29
6月に入ってからというもの、絶不調に陥っていた私は、
待ったなしの忙しさと、その後に来る憔悴で、通院も抜けて
しまうことがあったが、その間に初めからお世話になっている
看護師さんが退職されていた。
私と同年代(とはいっても年下だが)の方で、確か同じような
歳の娘さんと息子さんがいるはずである。
大柄で、しずちゃんのイメージがあり、物事に動じない、
存在感の大きな彼女は、患者さんにも姉貴分のような存在で、
内心ではいろいろと心配り、気配りを細やかにしていながら、
言うべきことは誰に対してもはっきりと言う人である。
普段はさほどおしゃべりではないのだが、無言の威圧感があり、
口を開くときはよっぽどのことであるが故に、断固とした
ものがある。
初めて病院へ行ったとき、夜診のない曜日だったので、初診の
私のために居残りをさせられたと、通院のたびに言われた
ものだが、今となっては懐かしい。
2008/7/27
夏は嫌いではない。
むしろ好きな方である。
どっと汗をかいた後の冷たいシャワーの嬉しさ。
眩しい陽射しの強さに目くらむような感覚。
太陽に晒された布地のきな臭い香り。
あえて熱いものを食べた後の爽快感。
この曲は「木枯らしに抱かれて」というアルバムの中の
一曲だが、夏に聴くとまた違う味わいがある。
私もよく歌うお気に入りの一曲だが、この当時、テレビで
見た覚えがある、懐かしい映像だ。
2008/7/23
物の豊かな時代にあって、価値を生むものは、数に限りがある
もののようである。
誰しも「限定品」と聞くと手に入れたいと思うし、だからこそ、
残り僅かだとか、数に限りがあるだとかの常套文句が、
販売においては有利に働く。
どうやら人は限りのあるものに惹かれ、価値を置くものと
見える。
世界に数個しかないもの、誰も持っていないもの、
プレミアつきのものなどなど。
どちらかというと装飾物等にあまり興味がない私にとっては、
オークションなどで高値のつく絵画や彫刻、陶器や骨董品
などには興味がない。
ただ、それらの歴史的背景や、作成に至るまでの経緯、
完成品の仕上がりの鑑賞という点には大いに興味があるが、
高いお金を出してそれらを収集し、自宅に飾って
満足するような趣味はない。
実用性、シンプル製、自然さを重視し、好むので、博物館かと
思われるようなごちゃごちゃした部屋は、見ていて
うんざりする。
ひとつの部屋には、置物なら一点、絵画も一点、そして花か
観葉植物があれば十分である。
2008/7/22
金曜の夜にお付き合いがあって、午前様となり、疲れ果てて
いたのだが、状況が状況だけに、何としてでも病院へ足を運ばねば
ならないと感じていたので、這い蹲るようにして通院した。
診察の時に話を聞いて頂いて、暫定的な処方もしてもらったが、
確かに時期的にはもうお酒をやめ続ける事が第二義、三義と
なってきて、むしろいかに生きるかが第一義となっている事を
改めて認識させられた。
断酒疲れと言おうか、断酒、断酒と見るのも聞くのも考えるのも
うんざりした気分である。
お酒をやめ続ける為という事ではなくて、いかに生きるかという
事を考えるために自助グループに参加するのも一つの
選択肢ですと、先生は仰った。
その考え方であれば、今からでも自助グループに参加する
意味は大きい。通院とセットで、土曜日の参加を考えてみようかと
思っている。