人はいつかは死ぬ。 誰しもそれをわかっていながら、日々を
健気に生きていることを思えば、人間というものは
偉いものである。
若いときには、その熱と力に溢れ、いつか死ぬなどという事は
考えもしないのだが、歳を取って肉体的にも精神的にも衰えを
感じるようになると、いつかは死ぬそのいつかを意識し始める。
「あなたはアルコール依存症です。」と診断を下されたなら、
それは即ち、
「あなたの余命はあと○○年です。」と告知されたのと
同じである。
そのまま飲み続ければ、確実に寿命を縮めて命を落とす。
断酒しない依存症者の平均寿命は、50代前半である。
事故死、自殺、内科的合併症などが主な死因だが、一般的な
平均寿命から考えればあまりにも短い。
もちろん人の寿命は本人にも誰にもわかるものではないが、
仮に末期癌で余命一年と宣告されたなら、その人の苦悩は
計り知れない。
いつかは死ぬ事はわかっていても、そのいつかがわからないから
生きていけるのである。
そのいつかがわかってしまったなら、これほど恐ろしい事はない。
まして、一年などという本当に限られた時間しか許されて
いないとすれば、尚の事である。
何故自分がそんな目に遭わなければならないのかと苦しみ、
まだまだ生きたいと望み、それが可能なら何でもする気になり、
神仏と取引をしようとさえする。
命を救ってくれたら、寄付でも布施でも何でも可能な限りする
だとか、まじめに信仰するだとかといった、命と引き換えの
取引である。
それも叶わないと悟ると、ようやく自身の現実を受け入れる
ようになる。そして、限られた時間ではあるが、その中で何が
出来るか、何をするべきかを考えるようになる。
明日死んでしまうかもしれないという事を常に頭において
今日を生きるというのは、本当に難しい。
誰しも、今日と同じ明日がやってくると信じて疑いも抱いて
いない。だが実際は、突然そういった局面に遭遇する事は
稀ではない。ただ、それが他人事で、自分には起こらないと
漠然と安心しているに過ぎないのである。
さて、アルコール依存症と診断されたところで、これほどの
切羽詰った状況には追い込まれないのは何故か。
寿命を延ばす方法がはっきりとわかっているからである。
断酒すれば良いのである。この安易さが、かえって断酒を難しく
させてしまう。
「依存症です。」という診断のときに、
「このまま飲み続ければ、また、再び飲むことがあれば、
余命は一年足らずでしょう。」と断言されれば、それは即ち、
生きるか死ぬかの選択を迫られることになる。
反面、選択がまだ出来るという事なのである。
つまり、一年以内に死ぬ事が決定しているのではなく、自分の
意志でその時間を延ばすことが出来るという事である。
わかっているんだけど、どうしても飲んでしまう。
そういう病気なのである。
だからこそ、その怖さを知るべきなのだ。
飲めば死ぬということを、本当の意味でわからないでいる事が
恐ろしいのである。
そうこうしている間に、確実に命を削って、死んでいく人のいかに
多いかという事を知るべきなのである。
余命一年と宣告されたとき、その一年をどう生きるのかを
考えてみれば良い。
何をどうしても、その一年という時間を変える事が出来ない中で、
どう生きていくのかを考えるなら、その余命をまだ延ばす事が
出来る方法、手段がある事の幸せ、ありがたさが、骨身に沁みて
心底からわかるはずである。
人の寿命はわからない。だが飲み続ければ確実にその寿命を
削ることになる。
いつ死んでも良いと、飲み続ける病気である。だが本当に
いつ死んでも良いと思っている人などいない。
自身を、その切羽詰った状況に追い込んで、どうするのかを
考える時、素直に生きていたいと思うから、まだ死ねないと
思うから、少しでも時間を得るためにお酒を断つのである。
寿命は運命かも知れないが、断酒は生への意志なのである。