2008/3/12
お酒を飲まなくなっただけで、その他は何も変わっていない
という事を指して、ドライドランクの状態と呼ぶが、
私はこの状態を初期的なものと解釈していた。
つまり、私自身の初期の所感として記しているように、
お酒を断ったからといって、すぐに大きな変化や改善が
現われる訳ではなく、その回復は非常にゆっくりと徐々に
進むものであるが故に、それ相当の時間を要するという事である。
それ相当というのは、飲み方がおかしくなり、依存症へと
進行していった履歴と同等の時間という解釈でもあった。
それを初期の段階で、何も変わっていないなどと評したところで
詮がないと考えていたし、今もその考えに変わりは無い。
ただ、飲まないことが当たり前になってきた最近、ふと自分の
今の状態はドライドランクではないかと疑いを持った。
飲んでいた頃と比べたなら、飲まないことだけが異なるのみで、
忙しい毎日を過ごし、出張、接待を含め仕事中心の日々で、
休日は専ら身体を休めることで終わってしまうような状態である。
昨年を振り返れば、とにかくも家族を中心として頑張れた一年で
あったと思えるし、それに伴う良い方向への変化というものも
実感できたが、今年は年明けから過密なスケジュールが立て続けに
待ち受ける中、飲んでいた頃と殆んど変わらない仕事中心の生活と
なってしまっていることにふと気付いたのである。
頭の中は常に仕事のことで一杯となり、自分でも余裕がなくなって
きているのを感じつつも、それをどうにも出来ない状況がこれまで
続いていたが、どうやら身体が限界に来ていたのかもしれない。
中国出張を無事に終えた後、ようやく一息つけるとなった途端、
心身ともにダウンしてしまった。
気力も体力も萎えてしまった状態に、危険を感じたので、
思い切って自らを休ませる事にした。
気力が充実している間は、蓄積された疲れは感じにくいが、ホッと
気が抜けた途端に身体は悲鳴を上げ出すようだ。
疲れを感じないまま、物理的な疲れが限界を越える時、精神的な
破綻さえ懸念される。
まさにその余裕の無い状態は、ドライドランクの状態とも
言えるかもしれない。
やはり、疲れを溜めることは忌避すべきなのである。
早い目に疲れの蓄積に気づいて、その都度対処していきながら、
心身の平衡を保つ事が大切であろう。
何も依存症患者に対してのみ言えることではなく、一般的にも、
このバランスの乱れが常態化すると、かなり大きな反動となって
現われて来るに違いない。
日常の忙しさに流されていると、ついつい無理をしがちで、
自身の状態を冷静かつ客観的に見ることが出来ない場合も
あるだろう。
また、休む、休ませるという事に何となく罪悪感を感じて
しまうのもこの国の文化的側面である事は間違いない。
休日であるのに、する事がないと不安になるのも、その側面の
現れであろう。
私自身は、少なくとも断酒直前の状態をはっきりと記憶している。
それに比べれば、現在の状態は遥かに良い方向に変わってきて
いることも実感できる。だが、本来の自分を取り戻すには、
まだまだ時間が必要である事も理解しているつもりである。
端的に言えば、ドライドランクは断酒何年であろうが
状況によって現われる。
その状況とは、主として外的要因で心身の余裕が極端に無くなる
ケースであるといえる。
その危険なケースにおいては、飲んだくれていた時よりは
余程ましと、ある意味開き直って、必要な休養を取るべき
なのである。
気力体力の充実は、それ相応の必要な休養が無ければ、
決して継続的には望めない。
今回、身をもって肝に銘じたことである。
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