依存症の回復のための治療に関する歴史は、まず、抗酒剤の開発
から始まっている。文字通り、お酒が嫌いになって飲まなくなる
薬ではなく、アルコールの分解能力を低下させて、耐性を減衰
させる薬である。抗酒剤を飲んで、アルコールを摂取すれば、
まるでお酒を飲めない人が大量にお酒を飲んだようなひどい状態と
なって、下手をすれば救急病院へ運ばれる事になる。
抗酒剤が開発されたのが1914年。物理的にお酒を
飲ませない事は出来るが、飲まないのではなく、飲めなく
させてしまうのである。
そこに最も大切な、「もう飲まない」という意識が無ければ、
飲めない状況はかなり辛いものであろうし、事実、抗酒剤を
飲まないで、いや、飲んだ振りをして、飲酒を続けてしまう事に
なるケースが殆んどであったろう。
物理的に飲めなくさせてしまう抗酒剤を服用させる事は、
確実な事ではあるが、、本人に飲まない意識が無く、抗酒剤の
ために飲めないという意識であれば、その断酒は挫折する。
自身が病気である事を認めるために病気の知識を深め、回復には
断酒しかないと理解し、回復を目指して命を永らえようという
決心をして服用するところに、本来の抗酒剤の役割がある。
事実、抗酒剤が出来てから、僅か15年少し後の、1930年には、
世界的な精神科医であったカール・ユング医師が、アルコール
依存症患者の治療を見放してしまう。
「もはや医学ではどうしようも出来ない。あなたが、治るとすれば
霊的(SPIRITUAL)な目覚めしかないだろう。」との
言葉を残している。
そして、1935年に、共に依存症であったビルとボブが出会う。
これが、AAの誕生である。
互いに、相手の苦しみを自分の事として理解し、その上で、共に
励ましあいながら、断酒を継続していくのである。
断酒の辛さ、苦しさ、飲みたい欲求、飲まずに過ごした事で
経験した大きな喜びなど、共々に分かち、共感し、そして会う度に、
また飲んではいない姿で会おうと、励ましあったのであろう。
それぞれの喜怒哀楽に共感し、共有する事で、飲まない日々を
重ねていったに違い無いのである。
人は自分だけのために生きていけるほど強い物ではない。
つまり、自分というものを人にわかってもらいたい、そして、
人のためにできる事を精一杯やる事に、一人では感じる事の
出来なかった、より大きな喜怒哀楽を感じるのではないか。
共に痛みを分かち、それをバネに、共に大きな喜びへと変えて行く。
人は人との関りのなかでこそ、本当の喜びと感謝を感じることが
できるのである。
たった2人とはいえ、この人と人との関わりから、この病気の治療に
おいては、大きな力となった事は間違いないであろう。
抗酒剤も、医者でさえもどうにも出来ないとされた病気であったにも
拘わらずである。
それから、自助グループが発展拡大し、医療においても専門病院が
開業していく。
今はこの、抗酒剤、自助グループ、通院が断酒の3本柱と
なっているが、共に断酒を続けて行こうとする仲間、友人、同志が
大きな力となっている事は歴史から見ても明らかである。
この病気になれば、既に飲酒自体が孤立となってしまう。
人との関わりのなかで断酒を続けて行く事は、自分を理解し、
他人を理解し、同じ依存症である事を認識し、共に断酒を継続
していこうと励ましあう事で、自身の断酒の決意、つまり飲まない
という意志をその時々において強化しているということなのである。
願わくは、家族の前で抗酒剤を飲み、一日断酒を自身の決意として
固め、通院により、自身が完治の無い病気を持っているという
認識を新たにし、その中で苦しい事、辛い事を仲間の前で吐き出し、
他の仲間の同じ苦しみを聞き、互いに同苦しながら、自分だけ
ではない、あの人も苦しい、でも頑張っている、自分も頑張ろうと
決意を新たにできれば、それだけ「飲めない」ではなくて、
「飲まない」という意識を常に新鮮に維持できるのでは
ないだろうか。
マニュアル的な意味での3本柱ではなく、常に飲まない意識を
新たにし、強固にしていくためのそれぞれの柱なのである。
人によってはこの3本を全て必要とする場合もあるだろうし、
1本、2本で継続していける人もいるだろう。
要するに、形ではなくて、何が自分の断酒の原点と、飲まない
意識を風化させないで常に新たに出来るかという事なのである。
人それぞれ、依存症となった経緯は様々で、断酒継続の方法も
様々である。万人に絶対的に有効といえる方法は
無いかもしれない。
ただ、これまでの歴史や、経過、そして精神科の病気であるという
点を考慮すれば、この3本柱は、原則中の原則であるといえる。
特に、人との関わりのなかに身を置く事が、最も重要だとも
思えるのだ。