2007/3/22
ここに一つの樽があります。
中にはお酒が詰まっています。
人によって、その樽の大きさも、お酒の量も異なりますが、
その人にとって、一生に渡って飲める適量が詰まっています。
ある人は、樽の中のお酒を十分に残して、一生を終える
かもしれませんし、またある人は、ちょうど無くなる頃に、
寿命を全うされるかもしれません。
いずれにせよ、その人にとっての樽の大きさとお酒の量は
決まっています。
それを飲み切ってしまうか、残すかは、その人の自由ですし、
それがその人の幸、不幸を決めるものでもありません。
私達は、樽のお酒を飲み急いだのです。
一生涯かけて飲める量のお酒を、駆け足で飲み切って
しまったのです。
寿命はまだ残っていても、樽にはもうお酒は残っていません。
振り返ってみてください。初めは普通に、生涯飲めるような
ペースで、お酒を飲んでいたはずです。
そのペースを続ければ、なんてことは無かったのですが、
いつの間にか、飲む事が人生そのものになり、
樽を抱きかかえる様にして、過ごしてきたのです。
そして、もう飲む事以外考えられなくなった時、樽のお酒は
無くなっているので、残っている寿命で、更にお酒を購う
という事をしてきたのです。
既に自分の樽のお酒は残っていないという事に気付かなければ、
寿命を縮め続け、やがて死に至る事でしょう。
誰かに強制されて、お酒を飲めないのではなく、自分で、
お酒を飲み切ってしまった事に気付く事が、私達に
必要な事なのです。
その事に気付かされた以上は、「お酒は終わり」と自覚して、
残りの寿命を全うするか、命を削ってでもお酒を飲むかは、
その人の死生観であり、その人次第なのです。
1 | 《前のページ | 次のページ》