2007/3/20
この病気に罹り、その進行に伴って必ずその患者が辿る道は、
間違いなく決まっている。
理性を失い、家族を失い、仕事を失い、健康を失い、最後には
命をも失ってしまう。
例会で院長先生も仰っていたが、大事なのは早く気付く
ことである。
自分で、自分のお酒による異変にどれだけ早く気付くかで、
後の立ち直りや、回復の状況も自ずと変ってくる。
全てを失って、自分の命を失う寸前でようやく気付く人。
家族を失う寸前で、気付くことが出来た人。残念ながら、
この極端な例の両者の後の姿には、雲泥の差がある。
早く気付いて、本気になれた者勝ちなのである。
私の場合は、理性も、家族も、仕事も失ってしまう寸前で、
気付くことが出来た。
事故で命をも失ってしまうギリギリのところで、踏み止まる
事が出来た。
あと一年、いや、半年もこの気付きが遅れていたらと思うと、
ぞっとする。
確実に、今の状況とは全く異なる地獄で、悶え苦しんでいたに
違いない。
いや、むしろ、もうこの世には存在していないかもしれない。
極限の状態の中でも、理性の芯は失わなかった自分に、
ある意味感謝している。
カミサンも、その時の状態を間近で見ているだけに、暴れたり、
人を傷つけたりといった事をしてもおかしくない中で、じっと
自制しておとなしくしていた私に変に感心していたようで、
その事だけは、繰り返し話しをする度に、改めて胸を撫で
下ろしている様でもある。
変な話だが、その事が、どこか私に対するカミサンの安心感にも
繋がっているようだ。
いずれにせよ、今年、息子が小学校を卒業し、中学へ進学する。
娘は、来年高校受験と子供達にとって、大事な、そして難しい
時期を迎えるにあたり、その前に気付いて、立ち直る事が出来た
ことに、自分の事ながら心底感謝している。
そしてそれはそのまま、カミサンへの感謝なのである。
早く気付けば、今度はそれだけ長く断酒生活をすることになる。
「一生飲めません。」という言葉は、30代の人が聞くのと、
60代の人が聞くのとでは大きな差がある。
先が長いほど、淋しく感じる度合いも大きいのは仕方が
無いことである。
ただ、適量を飲みながら、一生を終えたとして、その量は
決まっている。
それよりも遥かに多い量を、太く短く、駆け足で飲んで
しまったという事である。
「もう一生飲めません。」ではなくて、本当は、
「もう一生分以上、飲みました。」なのである。
飲むということは、もう一生分やってしまったのだから、
後は別の事をすれば良いだけなのです。
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