2007/3/6
激動の数日間ではあったが、その事を、出掛けた父親は
知らない。
そして、私のところにも、他の兄弟のところにも帰っていない。
今回の一連の出来事の中で、ようやく自分自身で立ち上がる
事にしたようだ。宙ぶらりんの状態で、何をするでも無く、
周りに甘やかされるままでいるうちは、本人の真骨頂が
出せないでいたのだと思う。
もともと、底知れぬ力を持っている人である。手に職もあり、
身体も元気であるのに、いたずらにそれを遊ばせておく
事の方が、本人にとっては、余程苦痛であったに違いない。
甘えられる状況にいれば、それに流されてしまうのも
人情であるが、年は取っても、それは父親の姿ではない。
自分の身一つくらい自分でどうとでも処していけるという、
本来の姿に戻っただけで、それはそれで、結果として
良かったと思っている。
父親というのは難しいとも思う。母親のように、居るだけ
では済まされない。生きるという事を、自らの姿で示さねば
ならない。
生き様を見せる事が、その使命であるとも言える。
極端なことを言えば、たとえホームレスになったとしても、
日々を逞しく生きていくなら、恥ずべき事は何も無い。
世間体が悪いからと、引き取ろうとし、それが義務とか、
恩返しと考えるのが下の兄弟達であろうし、それが
普通なのかもしれない。
だが私は、動ける間は、どんな形にせよ生きる姿を見せる事が、
父親となった者の使命だと考えている。
そして、もう自分自身では何とも出来なくなってしまった時に、
初めて子に従うという事で良いと思う。
その時、初めて父親にお疲れ様という、感謝と労いの気持が
自身の実感として湧くと思うのだ。
どんな状況であれ、立ち上がるのは自分の意志であり、
そこに励ましが必要な時があるとしても、最終的には
本人次第なのである。
立ち上がる意志の無い者を、周りがどんなに苦労して
立ち上がらせようとしても、それは無駄なのである。
我が家がした事は、結果として、立ち上がるという意志を
固めさせる事であったと信じている。
力があるのに寝たままの者を、そのままにしておくような
甘さは微塵も無く、自らの意志で立ち上がったなら、
後は放っておく。
そして、その時には、放っておいても、もう自分で何とでも
するのである。
様々な立場や関係の中に人は置かれているが、それらを
取り払って、一個の人間として見た時に、生きる力が
あるならば、その力を出させぬままにしてはならない。
生きる意志が見えたなら、その後は放っておけば良いのである。
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