行く春や重たき琵琶の抱き心(蕪村)
ver iens,
adfectus citharae
amplexae gravis
もともと、「抱く」というのをmanibus habitaeとしていたものを改訳してみました。Gaffiotによればamplectorには、物理的に抱きかかえるというようなニュアンスとともに、entourer de son affection(愛情で包む)というような意味もあるようで、日本語の「抱く」により近いかとも思います。sensusとしていた「心」については、adfectusに変更。Gaffiotはこの語に、etat d'ame,disposition d'ame,sentimentという訳をあてていることから、こっちの方を使うことにしました。sensusにもsentimentという訳語が与えられてはいるのですが、やはり、表面的な「感覚」が表に出てくるようなかんじがするのですが、どうでしょうか。
問題となるのは、adfectusに属格でcitharaを絡めるのがはたして適切かどうかという点。adfectus citharae amplexae gravisを直訳すれば、「抱かれる重い琵琶の心持ち」ぐらいになるかと思うのですが、原文で表されている「琵琶を抱いている人間の心持ち」というニュアンスまでこのような表現で出せるのかどうかは分かりません。かといって、adfectus citharam gravem amplectentisとして「重い琵琶を抱いている者の心持ち」としてしまうと説明的になりすぎて、無粋かとも思うのですが。ご意見をお寄せくだされば幸いです。