2006/2/2
結婚後1年だけ新婚別居生活をして、
きっちり1年で2世帯同居に戻りました。
妹が生まれるころ、父はパンチパーマをかけました。
子供の世話のために時間を使う。
朝の時間を髪にかける暇があったら子供と遊ぶ。
そういう父でした。
最初怖くて、違うおじさんかと思いました。
声は父だけど、顔が違って見えて怖かった(笑)
同居…そして壮絶なる母の嫁姑問題が始まるのです。
母は、年上で財産狙いだとレッテルを貼られていたので、
義妹をはじめ、親戚一同にすごいことを言われていました。
でも、けなげに頑張ってきて、最近やっと蟠りがとれました。
要すること30年。
本当にお疲れ様。
それはまた母の話のときにしておいて・・・
父は出張が多く、月に一度しか会えないこともありました。
私は父の顔が見たくて、
「お母さん、お父さん帰ってきたら起こしてね!」
と言っては寝ていました。
その仕事も終わりを向かえ、倒産することになったとき、
父は同じ事業所にいた3人の仕事を
確保してもらうことを会社に頼みました。
自分はその事業所で使っていた
ピンクの公衆電話とデスクだけ。
それだけもらって会社を後にしました。
それから今の仕事につき、工場長を最近までやっていましたが、
自分の精神力が持たないと言って役員に戻りました。
そこの会社にはまだあと3年いる予定ですが、
早く去りたいといっています。
会社の保証人になったことも2回、裏切られたこともあります。
それでも60まではという気持ちがあるらしく、
まだ頑張ってます。
父は涙もろく、情がある。
愛犬が亡くなった時は何日も思い出すたびに泣き、
妹の結婚式でも私たちに泣くなって言っておいて、
自分が率先して泣いていた。
じいちゃんが亡くなった時は寝ずにいて、
納骨後は今でも毎日のようにお墓に行っている。
叔母が癌だと知ったとき、
そのとき財布に3万しか入ってなかったのに
薬局で税込み3万のアガリクスを買って持っていった。
その叔母が亡くなったとき、言葉を詰まらせて涙を流した。
JAMが亡くなった時、「生き物だけんな・・・」
といいながら、電話の向こうで言葉を詰まらせていた。
そんな父だが、今まで趣味と言うものも色々あり、
30代で盆栽・洋ラン、40代で柴犬・パチンコ、
現在は釣り。
50代にしてボート免許を取得して、
3年ほど前に念願の5人乗りボートを購入。
毎週の休みは釣り三昧。
一度に100匹以上釣ることもあり、
それをその日のうちに下処理して人にあげたりもする。
そして冷凍保存したものは私の元へ。
それは母も妹も姪も巻き込んでのことで、
父が釣りに行ったときは夕食が遅くなる。
父曰く、
「海さん出て釣りばしよるときが一番よか。
なんも考えんでボーっとでくっとわい。」
(訳:海に出て釣りをする時が一番幸せ。何にも考えないでいいし、
ボーっとできる。)
ま、「海の呼びよるけん!!」って感じでしょう。
今はフグが釣れるらしく、来週食べさせられる予定。
親孝行ってなかなかできないもんだけど、
毎日父と母にメールをするのは私の日課。
返事に絵文字や顔文字を入れてくるようになったときは
成長したな〜と思うようになった。
今では間違い文字も少なく、ユニークなメールが来る。
父は、父宛に電話をかけるととても喜ぶ。
父宛にFAXを送るととても喜ぶ。
父56歳。
2月12日で57歳。
タバコを一日2箱ではなく1箱に減らし、
晩酌を一種類のアルコールにしてくれたらどんだけいいことか。
※現在の晩酌
基本は瓶ビール1本、缶ビール1本、焼酎2杯、日本酒1杯。
あればウイスキーも酒もどんだけでもいく(笑)
酒豪なのは父譲りという説もあるが、
先祖代々我が家は酒豪なので、遺伝なのである。
遺伝と言ういいわけに乾杯
↑↑
同感ですか?反論しますか?(笑)
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