2008/8/27
「心のたしなみ」
家にいて弛緩しているときと、外に出て緊張しているときの差が、
曖昧になってきているのが今の時代ともいうべきか。
一歩表に出たなら、それなりの覚悟や緊張感をもって、恥ずべき
姿を見せず、公序良俗を乱さないのが日本の文化であったように
思えるが、どうもそのあたりの境界がぼやけてきている。
男女を問わず、公たる場へ出るときには、青く冷たい光芒を持つ
刃を身にまとうくらいの緊張感が心にあったのは、さほど遠い
昔の事ではない。
武士の世であれば、女性は懐に短剣を持し、辱しめを受ける
くらいなら、自ら死を選んだ。
今では、公共の場でせっせと化ける過程をさらし、それを恥とも
思わない。
トイレは英語でパウダールームとも言い、化ける作業をするのを、
他人に見られない場でもある。
電車で化粧をする女性を見ると、不快と言うより、その人の
生活態度が垣間見える気がする。
みっともなさが、その行為だけでその人のイメージとなってしまう。
男性にしても、脇差は狭い室内での剣戟のためというよりは、
いざという時の切腹の為であったと思う。
実際にそのいざという時は殆んどないのであろうが、その覚悟の
象徴として、脇差を帯びていたのではないか。
うつむき加減でだらだら歩く、弛んだネクタイ、ワイシャツ、
そして汚れた靴。
みっともなさは、同じ事である。家族の中で団欒するのは、
弛緩であって良い。
だが、公の場に出て、人に接し、行動するときは、その立居振舞
ということを意識すべきである。
この立居振舞に切れがあり、美しい人というのは、接していて
本当に気持ちが良い。
つまり、自分のためばかりではなく、他人のためにも、
心の緊張感は必要である。
なぜなら、その緊張感のある無しが、そのまま立居振舞に
現われるものだからである。
アメリカの文化は合理的で、通勤の時は女性はスニーカーを
履いている人が多い。
オフィスに出て、ハイヒールに履き替えるのである。
日本では、ハイヒールで通勤して、オフィスではスリッパや
サンダル履きという女性が多い。
男性も、オフィスについた途端、革靴をサンダルに履き替えて
という人が多い。
文化の違いであるから、どちらが良いかは別として、少なくとも
日本では、通勤もオフィスも、公の場に出ている事に変わりは無く、
革靴やハイヒールで通していたはずである。
家と、オフィスとの境界が曖昧になってきている会社は実に多い。
話は飛躍するが、いざ戦闘となったとき、死を覚悟する以上、
死して恥ずかしい姿を見せたくないとの思いから、軍人は下着から
軍服まで、真新しい物に着替える。
欧米では、戦闘になればどうせ汚れるのだからと、古い物を
身につける。
これは文化の問題であるから、どちらが良い、悪い、優れているか
といった価値基準からは外れたところにある。
日本人であって、日本の文化の中で育まれたのなら、堂々とその
文化を享受して、他国の文化も認めながら、自国の文化を紹介して
行けば良いだけの事である。
文化の相互認識ほど大切なものはなく、これは異国間の交流に
おいて言語以上の重要性があると考えている。
そういえば、大学のゼミも、文化交流によるコミュニケーションが
テーマだった。
身動きの取れないような固陋な体制や体質は壊していけば良いとも
思うが、文化というものをないがしろにする事は革新には
繋がらない。
社会において、人が相互に尊敬しあい、互いに気持ちの良い生活を
送るという、最も根本的なところに文化は根付いている。
立居振舞を美しくさせる、心のたしなみ、つまり他人を慮る緊張感が
失われてきている事は、その根本的な文化をも実のないものに
していく。そして、行きつく先は、「ええじゃないか」のような
混沌とした世相なのである。
この、心のたしなみ、引き締めという意味で共通しているのが、
「シェイプアップ」である。
ダイエットの事ではない。
弛んだネクタイを締めなおす、気を引き締めて事に当たるという
意味である。
身体のシェイプアップよりも、心のシェイプアップが、まずもって
必要とされている時代かもしれない。
男女とも、家を出るときには戦闘モードに切り替える
シェイプアップのスイッチを持っていた方が良い。
化粧をする、ネクタイを締める、鏡の前で気合を入れる、
笑顔をつくる、等など、方法は人それぞれで良い。
要するに、出る前に、再び家に帰るまでホッとは出来ないと、
覚悟を決めるのである。
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