断酒については、これまで繰り返し記事にしてきたので、
自身の中ではそれなりの整理が出来上がっていて、
ことさらに取り上げることが少なくなってきた。
とはいえ、完治なき病気である以上、生きている限り
断酒という課題がつきまとうし、より良く生きていこうと
するなら、断酒はその大きな条件の一つでもある。
糖尿病患者がカロリー制限、インシュリン投与を
欠かせないのと同じく、我々もお酒をやめ続けるという
ことが欠かせないのである。
いずれにしても、厄介なのは、この病気になって、
お酒が飲めなくなったわけではないということである。
肉体的に回復し、健康を取り戻せば、飲むことはできる。
しかしながら、この病気は内科ではなく、神経科、精神科で
対症するものであり、だからこそ自身の飲まない意識を常に
初期の頃のままに維持していくことが肝要なのである。
最も苦しい初期においては、物理的に飲めなくさせる。
つまり抗酒剤の適用である。
飲めば死ぬほどの苦しみを味わう。それが抑制となって、
お酒を飲まない。それを習慣づけるのである。
特に副作用がなければ、その日一日を飲まないという、
日々新たな意識で、抗酒剤を服用し続けることは望ましい。
ただし、それがいつまでも強迫的に飲めなくさせられている
という抑圧的なものであれば、生きること自体が
苦しくなってしまう。
お酒を飲んでもすぐに死ぬわけではない。
仮に、いわゆる失敗をしても、またやり直しはできる。
だが、何度でもとは言えないのである。
その人の状況によるが、幾度かの失敗を繰り返し、そのまま
亡くなってしまった人も多くいる。
この病気に至るまでに、どれほど自分の肉体と精神にダメージを
与えてきたかは、人によって千差万別である。
親に勉強しなさいとよく叱られたものだが、それは強いられて
勉めるということである。
抗酒剤に強いられてする断酒は苦しいものだろう。
勉強せねばならない意味を見出だせば、それは自ら問うて学ぶ
学問となる。
いずれも、知識の集積ではなく、自らの可能性を開くために
必要なものなのである。
この病気を識り、断酒の意味を見出だせば、飲めないではなく、
飲まないという自らの意志となる。意志というものの大前提は、
生きるということである。
今日を生きるという意識で抗酒剤を服用し、あるいは飲まない
決意を新たにし、一日を過ごす。
これが一日断酒であり、それはそのまま今日一日を生きる
ということである。
お酒を飲めなくなったわけではない。飲めなくさせられたという
ことでもない。 自ら、飲まないと決めたのである。
それはそのまま、生きられるだけ生きると決めたのである。