Inter omnes qui recentibus diebus Latine scribant, certe ego pessimum esse puto. Sed dum vivo, hujus linguae peritus fieri non potero. Itaque sententias mendis plenas hic scribam.

2006/4/11

古井戸のくらきに落る椿哉  

古井戸のくらきに落る椿哉(蕪村)
flos cameliae
cadens in tenebras
putei veteris.

fleur de camelie
chutant dans les ténèbres
du vieux puit.

蕪村の俳句は絵画的であると高校の文学史かなんかで習ったように思うのですが、この句なんかはまさに絵画的、というか映像的。で、こういう句は訳しやすいんですね。「暗闇に落ちゆくピンクの花びら」を切り取って見せる限りにおいては、日本文化のコンテクストに依存している部分は非常に小さいはずだし。椿という植物には、日本独特の意味付けがなされているんでしょうが、ここではそういうものは切り離してしまっても大して問題にはならないように思うのですね。

あ、インチキ仏訳もしてみましたが、誰かもう訳してるかな?

仏語といえばやはりnekojita氏。Natureというコーナーに傑作を発見。

fenêtre fermée
le frou frou des feuilles fanées
furtif et fugace

閉じられた窓
しおれた葉がかさかさ
ひそかにはかなく

この句、ほとんど全部がfで始まる単語で構成されているんですね。そして、それがfroufrouという擬音語の反響となって、一句全体に枯葉の音が広がっていく。よくも作ったりと絶賞したくなっちゃいます!でも、こういうのは、今日の蕪村の句と対照的に非常に訳しにくいです。

篭りゐれば
かさこそ枯葉
こつそりと

と、Kを使って訳してみましたが、原語のfの持つニュアンスと比べてどうなのか。それも、日本語におけるfとkの違いではなく、フランス語でのfと日本語でのKを当然のことながら比較の対象としなければならない。こんな感じで訳していいのかどうか、本当のところはよく分かりません・・・。
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